小学3年生で初めて「鐘」を叩く。1年生は金神輿で行列に参加、2年生は「いや方」と言って鐘の後ろに正座してお囃子の掛け声のみを言う役だった。
もちろん当時は女人禁制だったので男子ばかり小学2年生から6年生までで16名が所狭しと鉾山に乗っていた。
女子は鉾山の一階部分におやつと一緒に乗り込み、気が向けば二階部分の男子におやつを提供する。
おやつと言っても「湯がいた栗」「黒豆の枝豆」「早生みかん」「梨」といったものだった。
「この黒豆の枝豆を食べ始めたのは1988年頃から」とどこかの人が新聞か雑誌のインタビューに答えられてたけど、現実に1960年代に食する習慣があったわけで、きっとその方は篠山をしらない篠山人だったのかもしれない。
そのおやつの提供の仕方というのが二階の男子が吹く「篠笛」につけた「飾りリリヤン」を使い、おやつを結んで釣り上げるという方法。
いたずらな男子に対しては中身のない「枝豆の皮」が結ばれていた。
そうそう 今と違って当時のお祭りは土日ではなく10月16日17日の固定だった。
何年かに一度は土日が巡ってくるが、多くは平日。篠山小学校へ登校し、朝礼のみを済ませて帰宅。お祭りに参加というスタイルでその非日常的な「登下校」が妙に思い出に残っている。
元旦に登校して紅白饅頭を貰って帰ることも今はなくなってますね。
お祭りを土日に変更したのは参加者、特に鉾山ではなく「太鼓御輿」の担ぎ手不足によることが大きい。
そのことは時代の流れとして仕方ないことかもしれないけど、非日常的な感覚が減ってきた感じも否めない。
最後に 「太鼓御輿」に乗れなかった我ら同級生。
太鼓御輿の厳しい練習を済ませ、さぁ本番。そんなとき台風が二日間とも祭りを中止させることになった。
子供が多いってことは今と違って二年連続で乗れることはできなかったのかもしれない。
一名は不幸にも若くで他界したが、この地で生まれた男子で唯一太鼓御輿に乗れなかった同級生。
たまに思うことがある。乗れなかった悔しさが逆に祭りに対して思い入れが強いのかもしれないと。
鉾山のおやつは、確かに栗、黒豆、ミカンぐらいやったね!
その頃やった、ゆで栗はスプーンで食べることを初めて覚えました。
今から思えば、ジャンクフードなどはなく、どれも自然の秋の味覚がおやつやったわけや(^^;)
巾着袋に入れてましたね。最近、特に黒豆の枝豆は、あのホロンピアから初めて販売したなんて言う城下町界隈以外の篠山人がおるから困りますわ。