<兵庫県篠山市立町>
天下普請により篠山城築城にあわせ、最も早く南北に通じる立町通りが造られました。
そこには武士や庶民の生活を支える「食」を中心としたお店が軒を並べ最近まで鮮魚店などが多く町を賑わせていました。
立町へ通じる「割場橋」も行政の中心から商店街へ通じる大切な橋ということで明治時代篠山市で最初の鉄筋で作られたことも当時の賑わいを思い起こさせます。この全長約600mの立町通りの北半分が「下立町」です。
時は流れ昭和40年以降のスーパーマーケットの台頭により「食」を中心として栄えてきた商店街は一番ダメージを受けることになります。
多くの店が閉店、あるいは商売替えを余儀なくされ、人口の減少と相まって商店街という形を維持できなくなりました。
また町の東西に空き地はなく、道沿いの店(家)だけで形成された「町」のため、新しい住民を拒む要因になってきました。
しかし下立町には城下町に9台ある鉾山のうち江戸時代最も古くに寄進された「高砂山」を有し、その祭りを求心力として住民がまとまっています。
前述の地形上から新しい住民を拒むことになっていることが市内でも数値上は限界集落に属する少子高齢化した「町」になります。
数値上は限界集落になるかもしれませんが、金融機関はあるし、タクシー会社も、居酒屋も歯医者も寿司屋も米屋も菓子屋も料理旅館もあるんです。
そんな65軒のちっちゃな高齢化した「町」がITを駆使するなんておかしいかもしれませんが、だから駆使するんです。
このちっちゃな「町」の行く末をIT技術がきっと楽しく記録してくれることと思っています。